ゲートボールのこと

 5月9日、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)会長の神美知宏(こう・みちひろ)さんが急逝されました。ハンセン病市民学会の開催を翌日に控え、滞在中だった群馬県草津町内のホテルで倒れられたとのことです。ハンセン病問題解決のため先頭に立って運動を牽引してこられた神さんの突然の訃報に、私も大きな衝撃を受けています。

 神さんとは数度お会いしましたが、初めてお会いしたさいに聴かせて下さったお話が、今も印象に残っています。それは神さんが長い年月を過ごされた大島青松園(香川県)でのゲートボールにまつわるお話。青松園ではかつて入所者の間でゲートボールが盛んに行われ、かなりの腕前の人が揃っていたのですが、当初は対外試合をしたくても相手がいませんでした。香川県本土のチームの人たちは、ハンセン病への偏見ゆえに、療養所のチームと試合をしたがらなかったのです。けれどもやがて、何かのきっかけで青松園に練習試合に来ることがあって、本土チームの人たちは、療養所チームの強さに目をみはります。(そのときの神さんの口ぶりでは、療養所チームは無敵。今にして思えば、神さんもいくらか誇張しておっしゃっていた気もしますが。)さあ、相手が強豪だと思い知らされた以上、本土チームの人たちも、もう「あの人たちはハンセン病だから近寄るな」なんてことは云ってられません。船で島へ渡ればそこに自分たちより強い人たちがいると分かっていながら、その人たちを仲間はずれにして覇を競うことに何の意味があろう。と、そんなわけで、それからは本土チームが頻繁に大島へ渡ってくるようになり、一方療養所チームも本土で催される大会に参加するようになり、優勝の栄冠を勝ち取ることも一度や二度ではなかった‣‣‣。そういうお話を、神さんは、初めてお会いしたとき、私にじつに楽しげに語り聴かせて下さったのでした。私はこのお話をうかがってから、にわかにゲートボールというものへの関心に目覚め、本屋で解説書を買ってきてルールを覚えたりしたものです。

 あのお話の中には、人権について、ハンセン病問題解決について、深く考えるためのヒントがたくさん詰まっていた、と改めて思っています。神さん、ありがとうございました。人生を賭した長年にわたる神さんのたたかいに、敬意を表します。