吉祥院六斎念仏

 去る4月25日の夜、京都市南区の吉祥院天満宮を訪ねました。その日は天満宮の春季例大祭に当たり、たいそうな人出で賑わっていました。8時過ぎから舞台で「吉祥院六斎念仏」の奉納演奏が始まりました。

 六斎念仏は、平安時代に空也上人が始めた「踊躍念仏」が起源といわれています。その後、六斎念仏は干菜寺系(念仏六斎)と空也堂系(芸能六斎)という二つの流れに分かれ、空也堂系は民衆が親しむ芸能として京都各所で行われました。現在も吉祥院の他、壬生、中堂寺、嵯峨、千本、小山郷などの各所で保存会が伝統を受け継いでおり、京都の六斎念仏は一括して国の重要無形文化財にも指定されています。

 私は数年前から、吉祥院六斎念仏の取り組みに若干の関わりをもち、2010年春には「六斎のあるまちシンポジウム」でコーディネーターを務めさせていただいたこともあります。六斎念仏は、いわゆる“被差別芸能”ではありませんが、吉祥院六斎念仏に限っては、被差別部落の人々が、現在その伝統を受け継いでいます。

 桂川に近い農村であった吉祥院地域には、かつていくつもの六斎組があり、互いに妍を競っていました。被差別部落の人たちは長らく六斎に関わることを許されていませんでしたが、明治初年ごろ、ようやく菅原組という六斎組を結成します。とはいえ、天満宮の舞台に立つことを拒絶されるなど、菅原組は、厳しい差別の中で六斎と取り組まなければなりませんでした。ところが…戦後、吉祥院地域の開発が進み、かつての農村型地縁社会が変容を余儀なくされる中で、菅原組以外の六斎組は衰微し、後継者難などから次々と活動停止に追いやられます。そして、結果的に菅原組だけが残ったのです。現状では菅原組だけが唯一、吉祥院六斎念仏の伝統を守り、伝えているのです。…こうした歴史に関心を抱き、私は吉祥院六斎念仏について少しでも多くの人に知っていただくため、いろんな場所で言及するなどしてきました。次世代に六斎の伝統を伝えるために設立された「吉祥院子ども六斎会」は、子どもたちに、単に芸能を継承するだけでなく、差別に屈せず六斎に取り組んできた先人たちの尊い精神をも継承していくことを重要な柱にしています。「子ども六斎会」の仕掛け人である石田さんらは、『獅子のごとく』というニュースペーパーを発行するなどして、六斎念仏という地域文化を核に据え、なおかつ人権をもキーワードに、まちづくり活動を展開しています。

 舞台では、笛、太鼓、鉦を奏でる大人たちに見守られながら、「子ども六斎会」の子どもたちが、四つの太鼓を組み合わせた「四ッ太鼓」を順々に打ち鳴らしていました。今では“大人”の側で演奏している青年も、そういえば数年前には“子ども”の一員として四ッ太鼓を叩いていたなぁ、なんて思いながら、暖かい春の宵、奉納演奏に耳を傾けたことでした。

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コメント: 1
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    やまさき (日曜日, 21 9月 2014 13:12)

    西陣コース、東山コースに興味があります。
    教えていただけると幸いです。
    今月23日に京都を訪れる予定です。