名張毒ぶどう酒事件「再審請求棄却」

 先週の金曜日(2012年5月25日)、名古屋高裁は「名張毒ぶどう酒事件」について、「再審を認めない」との決定を下しました。1961年に三重県名張市の山間の集落で起こった「名張毒ぶどう酒事件」では、ぶどう酒を飲んだ5名の女性が亡くなり、殺人罪に問われた奥西勝さんに対し、津地裁が64年に無罪判決を出したものの、69年に名古屋高裁が逆転死刑判決を出し、72年に最高裁が上告を棄却したことで死刑が確定しました。以降、度重なる再審請求を裁判所は棄却し続けましたが、第7次の再審請求に対し、2005年に名古屋高裁が再審開始を決定。ところが同じ名古屋高裁が翌06年に再審決定開始を取り消したのです。その後の特別抗告に対する最高裁の高裁への審理差し戻しを受けて、今回、名古屋高裁は改めて第7次再審請求を棄却した、というわけです。

 私は今回の高裁の再審請求棄却の報に接し、この事件および裁判経過について詳しく記した江川紹子さんの著書『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』を通読し、奥西さんを犯人と決めつけるにはあまりに不自然な要素が多すぎる事件であることを改めて感じました。奥西さんは事件直後に犯行を“自白”しましたが、自白がいかに信用するに値しないものであるかは、他のさまざまな事件を通しても明らかです。しかも弁護団は、長年の地道な努力の積み重ねの中で、自白を裏付ける“証拠”が孕む矛盾・不合理・曖昧さを丹念に立証してきました。けれども裁判所は、そうしたものにほとんど目もくれません。

 今回の再審請求の中で弁護側は、犯行に用いられたとされる毒物は、奥西さんの“自白”した農薬「ニッカリンT」ではなかった、と主張しました。簡単にいうと、「ニッカリンT」は水に溶かした状態で不純物が出るのに、当時の分析では不純物が検出されていないことを指摘したのです。これに対する検察側の「当時の手法では不純物は検出できないから用いられた農薬はニッカリンTである」という異議を、高裁はそのまま認めて、弁護側の主張を却下したのです。要するに、不純物が検出されなかったのは農薬が「ニッカリンT」とは別の農薬だったからではなく、単に当時の分析技術が未熟だったから、ということで片付けてしまったわけです。不純物が検出されなかったからには、少なくとも「ニッカリンTではない」可能性は否定できないはずですが、「ニッカリンTでなかったとまではいえない」というような調子で、裁判所はあくまで証拠の“揺らぎ”を認めようとしないのです。どうやら、何が何でも確定判決を維持したいものとみえます。確定判決を覆すことは、司法秩序に違背するという妄念にとりつかれているのでしょうか。私が目を通した新聞には、元最高検検事だとかいう人が、「『確定判決は真理なり』といわれるが、まさに真理が確認されたといえる」などというコメントを寄せていました。例えば足利事件の菅谷さんを前にしても、この人は「確定判決は真理」などとうそぶくのでしょうか。「真理」である確定判決もあれば、「真理」ではない確定判決もある、ということを、裁判所も検察も私たち市民も、ちゃんと認識しておかなければなりません。